思春期の虎の巻[第二回] 十三歳・春「ティーンの始まりは先輩後輩の始まり」

思春期の虎の巻

2018.07.30

あなたは「生意気」という言葉を初めて意識したのはいつですか?
多分、小学校五、六年生頃?身近に使われ出したのは、おそらく中学生になってからなのではないでしょうか。

そう、多くの人にとって、中学生の始まりは先輩後輩の始まり、だったろうと思います。私にとってもまさにそうでした。

四月。
いよいよ中学生。私は慣れない制服を着、自慢のセイコーの腕時計を身につけると、ドキドキしながら、K中学校の門をくぐりました。

「青春」「ティーン」「初恋」などの言葉が自分の頭の中でおしくらまんじゅうしている感じで、希望と不安に手足は震えていました。
そんな私が、学校の部活に選んだのは、演劇部でした。

発声練習の時です。
「ワタシハ、ルンペンと叫びな!」

二年生の時任先輩(仮)が、私のお腹を押しながら言いました。
周りの二年の先輩が数名、吹き出しました。先輩の冗談だったのでしょうか。しかし、
私は直立不動でいました。

私たち新入生はその時、六名。指導する二年生はその倍以上の十五名でした。
シゴキは全く酷いものでした。
先輩の発言の時は正座厳守でしたし、おしゃれにジャージの裾を折り返す事も出来ませんでした。
その他、一年生にだけ百回の腹筋運動が課せられた事もあります。

その時の時任先輩の言葉は
「あなたたちの為を思っているんだからね」と言うものでした。

そんな時でも三年の先輩たちは無関心で、部室の隅で談笑していました。
彼女たちは三名しかおらず、演劇部に男の子はいませんでした。

それでも、私は反発を感じませんでした。
それどころか時任先輩に憧れてすらいました。
権力に魅せられていたのです。

(私も尊敬されたい。ああ強くなりたい)

実際、他の一年生が陰で不平を言っても、私は首をかしげていたのでした。

五月も後半を迎えた時、私は声を失いました。
一時的にです。
部活の後、家に帰ると出なくなっていました。
必死で絞り出そうとしても、虚しく息がハーッと漏れるだけでした。
微熱もあったので、風邪とみなされ翌日から三日間、学校を休みました。

何故だったのか、今ではよく解っています。
意識しないところで私は先輩たちに脅かされていたのです。
しかし、当時は気づかなかったので、対処は出来ませんでした。
程なく声も戻ったのですから。

私には三学年上の姉がいて、演劇部のOGでした。それを知った同級生に
「お姉さんに、二年のこと言いつけてよ」
と、事あるごとにいわれました。

ですが、私は拒み続けました。
自分の弱さを姉にさらすのは、誇りが許さなかったのです。
そして何より、家族に知られたくありませんでした。
親にも出てきてほしくない。ひとりで出来る……と。

夏を迎える頃には、一年生の数は四名までに減っていました。

一学期の最後、三年生の引退の日、恒例の三年生と一年生のミーティングがありました。
新しい演劇部の部長を決めるのです。一年生が強く推した結果、時任先輩が選ばれました。

「……時任さんか」

三年のある先輩は不服そうでしたが、それ以上は言いませんでした。

愚かな私は、部長が時任先輩に決まった時、何とも言えぬ満足感を覚えていました。
完全に彼女に心酔していたのです。私は思いました。

(私も先輩の様になろう。力が欲しい)と。

そこが間違いでした。
そこから私は、すっぽりと思春期の袋小路に入って行ったようです。
この考えのせいで、自分が後輩を持った時、手痛いしっぺ返しをくらわされるとは、想像も出来ない私がいました。

全て力への欲でした。裏を返せば、私は余りにも弱かったのです。
自信が欲しかった。
でも、健康的な自信、イコール権力では無い筈ですよね?

「もし、○○していれば」と考えるのは好きではありません。
過去、通って来た道が、私を作って来たのですから。
唯、今思うと私は中学生の時、「~すべき」とがんじがらめだった気がします。
認知行動療法が教えてくれる、認知の歪みです。

「先輩には無条件に従うべき」「後輩は我慢すべき」「周りに愚痴は言わないべき」と。その縛りが、誰にも悩みを打ち明けられない私を、作っていった気がしています。
権力欲と愚直なまでの従順さ。

そして、間もなく病の罠が、私を捕らえる事になるのです。

(森詩子

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