思春期の虎の巻[第十四回] 二十歳 「思春期も終わりに近付こうとして…」

思春期の虎の巻

2019.03.19

成人式が終わった時、
「ごめん!このあと一緒にビールは飲めない!」
と私は翠(仮)に叫びました。

その頃には中学校で一緒だった、翠しか友達と呼べる人が居なくなっていました。
私は自分の異常に興奮した頭を現実に合わせて生きるので、精一杯でした。友達が一人、また一人と去って行ったのです。

(ビール?それどころじゃないよ)
私は内心そう思いました。
能天気な翠に苛々していたのです。
私以外の新成人は晴れやかにはしゃいでいました。

そうして、翌日が高校の最後のテストだった為、翠を残して家に帰りました。

高校は、通信簿が2ばかりでしたが、何とか卒業出来ました。

その頃、どうしても美大に行きたく、画塾に通っていました。
代々木にある大手予備校の画塾です。しかし、上達は全くしませんでした。
心の病で、体力が落ち、一日中、イーゼルの前にいる事が苦痛でした。
朝も遅れて通うので、社長出勤の『社長』と先生には呼ばれていました。
私は明るいお道化者と思われていたようです。泣き言は一切言いませんでしたから。

先生は、芸大の学生のアルバイトが多く、自分で気づけとばかりに放任で、上達のコツも教えてはくれませんでした。
(私には絵を描く資格がある)
そう信じるだけが救いでした。私の頭は躁状態でした。
興奮のあまり涙が溢れてくる時は、トイレに籠って泣きました。そして、何度も唱えました。

(ここに居る誰よりも私には画家になれる資格がある)と。

そうは言っても、全然上手くならないので嫌気がさすと、私は画塾を早退して新宿の名画座に古い映画を観に行ったり、美術館へ出かけて行きました。

放蕩三昧でした。

新宿の夕日はまるでムンクの叫びの絵の様に、熱したガラスの様に、溶け落ちそうでした。

昼夜逆転の生活に拍車が掛かり、その為処方されたお薬を飲むとボーッとなるのが辛く、私は薬を抜くようになりました。

もう、画塾どころではなく、私は自室にクラシック音楽を大音量でかけ、引きこもりました。

絵を描くのが嫌いになっていました。
誰よりも資格がある筈なのに、一向に上達しないのが、耐えられなくなっていたのです。
技術を習得するには多大な努力が要ったのに、病気の為、集中力が全くなかったのです。天才肌でも無かったのです。

画塾は辞めてしまいました。何よりも描く事が楽しくなくなってしまったのです。

そして程なく、尋常でない興奮状態に気付いた両親によって、精神病院に入院させられてしまいました。

私は、二度と外には出られないのでは、と病室で泣きました。

――退院出来たのは、五か月後でした。

辛かったですが、結果、総てが貴重な経験になったと今では言えます。

放蕩の日々も、入院生活も。全部、ヤケにならず乗り越えたから夜が明けて、自信を持てる様に変わりました。
成長のトンネルを通ったかのようです。

不健康までの自己否定。完璧主義。
他人には徹底的に誠実であるべき。
それが思春期の私を苦しめていました。
自罰的であることで、やっと生きていました。
いい子でいたかったのです。

認知行動療法はバランスを身に着ける治療法です。
真の大人への扉を開いてくれる、コツを教えてくれます。

少しくらい悪い子でもいいじゃありませんか。
バランスとある種のいい加減さ、それを身に付けられれば、人生はそれほど苦ではありません。
そう、この様に自分に声掛けをしてあげれば、安堵し、楽に呼吸できるでしょう。

私の成長のトンネルの始まりは、自己否定から鬱状態になる事でした。
そして器質的な要因もあって躁へと進みました。

心の中では、自分を罰したところから、この世の儚さへの不安へと移って行ったのです。
『無』とは人間の生理作用だと、作家の坂口安吾も言っています。
真剣に生きていたのです。

心の病に罹った人は真剣に生きています。自信を持ってください。

特に鬱に言える事の様ですが、鬱病の治って行く過程のその時が、一番不安定で危険な状態だそうです。
患者は「どうしてこんな事してしまったのだろう」と自分を責めるそうなのです。
鬱状態の人間の周りにいる方は気を配ってあげてください。
そうして絶対、「頑張れ」とは言わないようにお願いします。
心の弱っているこの時、その人は頑張れないのです。

心の病気とは魂が旅に出るようなものです。
何を掴み、帰って来れるのか、それは患者その人にかかっています。
誰にも代わりは務められません。

これはあなたへのミッションです。
どれだけ成長できるでしょうか?そう、マイナスなのではありません。
乗り越えればプラスに転じます。

よく言われる事なのではありませんか?人生に無駄な事などひとつもないのです。

(森詩子

«

»