思春期の虎の巻[第十三回] 十九歳 「ロウソクの火は灯っているか」

思春期の虎の巻

2019.03.05

(…いい加減にして!)

私は心の中で悲鳴を上げていました。
もう、三十分も奈美恵(仮)の電話に拘束されていたからです。
彼女は最近好きになった曲だと言い、受話器にステレオをあて私に音楽を聞かせていました。
三十分もです。
私は無言でそれに耐えていました。

「森さん、お兄ちゃんと分かり合えたの!」

彼女は電話をその報告からし始めました。
声はうわずっていました。

私たちは共に十九歳で通信制高校のクラスメートでした。
そうして彼女も鬱を患っていました。

私はその時、極度の躁状態でした。
何もしなくとも興奮の為に涙が溢れて来て、外出さえままなりませんでした。
当然、高校のスクーリングにも行けず、留年が決まっていました。
とても他人どころでは無かったのです。

奈美恵だって学校に来ていない私を知っている筈でした。

彼女は在学中、積極的に他の人と交わろうとしない子でした。
唯、私に
「人込みで孤独を感じるよ」
とこぼすばかりでした。
そして彼女は卒業が決まっていました。

当時、私は心の病だからこそ明るい話をして、他人と交わるべきと考えていました。
そしてこの時、前々から彼女に感じていた不満が最高潮に達したのです。

電話が終わると私は奈美恵に絶交状を書き始めました。

三日後、彼女から電話がありましたが、私は電話口に出ませんでした。
それ以来、彼女とは会っていません。

(聞いてあげるべきだったかも。でも…無理だった)

その後、私は少し自分を責めました。
精神科のお医者さんに報告した時には涙を一筋流してまで。
しかし出来なかったのです。
完璧主義。
人に対しては徹底的に誠実であるべきだと頑なに信じている私がいました。

希望の持てる事もありました。
カウンセラーの高木先生(仮)に『頭のいい人』と言われた私は、光を信じ始めていたのです。
そうして画塾にも通い始めていました。

日に二、三本の映画をレンタルしてきて観ました。
その中には無声映画もありました。
そうして名作と呼ばれる映画を貪るように観だしました。

同時に、古典小説を読むようにもなりました。
ロックミュージックだけでなく、クラシック音楽にも手を出す様になりました。

それをそばで見ていたからでしょうか。
父が中原中也の詩集を買って来てくれた事を覚えています。

少年期から青年期が始まろうとしていました。

鬱の時は色彩を失っていた世界が、躁になった途端、極彩色に変わっていきました。
爛々と、まるでムンクの描く景色の様に私を圧倒して来ました。
そして鏡にうつる私の顔は、異常なまでに輝いていました。

十代の人間にとって人から認められる事は重要な意義を持ちます。
それは自己肯定感へと繋がるからです。
思春期の子供は自信がありません。
あっても風の中のロウソクの様なものです。

私にとってカウンセラーの高木先生に自信を貰った事が大きかったです。
自分は『つまらない子』ではないんだ…と思えたからです。

ユングによると、人生は四つの時期に分類出来ます。
『少年期』『成年期』『中年期』『老人期』です。
ほぼ、二十年ごとに次の時期へ移る転換期があり、その転換期こそ人生の危機の時です。

大人になる青春時代はその転換期のひとつにあたります。
不安定な時期です。
因みに四十代頃に迎える中年期の始まりは、人生最大の危機の時期となります。

十代の子供は友達にも大人にも完璧を求めます。
許せないのです。自分にも他人にも完璧さを期待し、葛藤します。

私も奈美恵が許せなかった。
そして認知行動療法でいう『全か無か思考』となり、彼女を切り捨てました。
同時に彼女を捨てた自分に対しても居心地が悪い想いをしました。

もっと現実にそった誠実さとは、自分も他人もラクに呼吸させうるものではないでしょうか?
大人になるとは、バランスを持てる様になる事かもしれません。

認知行動療法のスキルを用いて
完全な態度なんてありえないよ。もっといい加減でもいいんだよ
とあの時の自分に言ってあげられたら、きっと『安堵』を得られたでしょう。
これはとても有効な方法なのです。
ある程度のいい加減さとは大切な事ですよね?


私が通信制高校を卒業できたのは、それから一年後です。二十歳でした。

今思うと私は周囲に恵まれていました。
彼らは辛抱強く見守ってくれたからです。
そうして辛うじてロウソクの火が灯ったのです。
私は自己肯定感を獲得し始めたのでした。
光を掴もう、絶対生きぬこうと決めていました。

大人になるとはバランス感覚を持ち、少し狡くなる事。
自分も他人も許容するゆるさを身につける事なのかもしれません。

――大人になるって難しいですね。

(森詩子

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