母を失ったあの日から——心理学を教える者として、遺族の痛みを言葉に残す
2025.11.29
心理学を伝える仕事をしていると、
「時間が経てば悲しみは癒えるのですか」
と尋ねられることがあります。
理論上は、喪失の痛みは“心の適応”によって少しずつ形を変え、
人は再び日常を取り戻すと言われています。
しかし現実には、
必ずしも教科書どおりには進まない悲しみがあります。
母を亡くしてまもなく三年。
千日を超える時間が経った今も、
涙の出ない日は一日もありません。
喪失とは、理論だけでは割り切れない、
人間そのものの深い体験だと痛感しています。
■ 自責の念——心理学では“自然な反応”とされるもの
母が最期を迎えたあの日から、
私はずっと自分を責め続けています。
「なぜ守れなかったのか」
「もっとできたのではないか」
心理学では、これは“遺族反応の一部”として説明されます。
人は、大切な存在を失ったとき、
理由を求め、意味を求め、自分に原因を見つけようとする傾向があります。
しかし知識として理解していても、
胸の奥で鳴り続ける痛みが止まるわけではありません。
理屈を超えた感情が、人の心には確かに存在します。
■ 優しさが消えるとき——それは疲弊のサイン
深い悲しみの中にいると、
人は誰にも優しくなれなくなることがあります。
心理学では“心的エネルギーの枯渇”と呼ばれる状態です。
笑えない、前を向けない、
他者に向ける余裕がなくなる。
そんな自分を嫌いになり、さらに心が傷つく——
これは非常に多くの遺族が経験する悪循環です。
悲しみの重さが優しさを奪うのではなく、
人は優しいからこそ悲しみによって弱ってしまうのです。
■ 「会いたい」という気持ちは、時間では消えない
三年経っても、母に会いたい気持ちは消えません。
研究でも、喪失後の“愛着の持続”は自然であり、
愛する者への渇望は、時間の経過とは別に存在し続けるとされています。
会いたい、触れたい、声を聞きたい——
それは未熟さではなく、
人が誰かを深く愛した証そのものです。
「時間が癒してくれる」という言葉は優しいけれど、
遺族にとっては必ずしも当てはまらないことがあります。
■ 喪失の痛みは、“完了”ではなく“継続”という形で存在する
心理学では、喪失後の適応を
「前に進む」ことと表現することがあります。
しかし、実際の遺族の歩みは一直線ではありません。
立ち止まり、涙し、崩れ落ち、
それでも少しずつ今日を生きていく——
その繰り返しです。
喪失とは、
悲しみを抱えながら生きていくという、静かな継続の体験です。
■ 大切な方を亡くされたあなたへ
もしあなたの周りに喪失を経験した方がいたなら、
どうか焦らせないでください。
悲しみのプロセスには“正しい速度”というものがありません。
心理学でも、
回復は“その人のペースでしか起きない”とされています。
言葉よりも、そばにいること。
その静かな存在だけが、
心を支える力になることがあります。
■ 最後に——専門家である前に、ひとりの人間として
私は、母の死から立ち直ったわけではありません。
心理学の知識があるからといって、
喪失の痛みを早く癒せるわけではありません。
むしろ、
「悲しみは簡単に消えなくていい」
「涙は愛情のかたちのひとつ」
そのことを母が教えてくれたのだと思います。
今日も涙は止まりません。
それでも私は、母を想いながら生きています。
専門家としてではなく、
ひとりの遺族としての記録を、ここに残しておきます。
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